「原爆に遭った少女の話」を読んだ


原爆に遭った少女の話
http://homepage3.nifty.com/sasurai/GenbakuTop.html


作者の祖母が被爆したときの話を漫画にしたもの。


【出来事としての感想】
アメリカが日本をどう考えているかということを、日本人は忘れるべきではないと思う。
他国への見せしめ、新兵器の実験、自己満足・・そんな理由で民間人を大量虐殺した。
あと、はだしのゲンみたいな話かと思ったら、どちらかといえばプロジェクトX みたいな話だった。


【漫画としての感想】
絵うまい。マガジンに昔、社会派ドキュメンタリー漫画が載っていたことがあった。
この漫画がそれになってほしい。



現実の耐えられない重さ


ノンフィクションが圧倒的な迫力を持つのに、フィクションはなぜ存在するのか考えてみた。


結論。ノンフィクション、つまり現実は重い。


単に毎日勉強したり、仕事をしたりするだけでも十分大変だ。
誰かが難病をかかえたり、障害を負ったり、死んだりするなんて重すぎる。
特に死は、身近な人の死、自分自身の死からは逃れられない。


だからフィクションが存在するのだろう。死が題材で、
現実に近いものなら、心の準備とか弔い的な何かのために。
現実とかけ離れたものなら、攻撃性や嗜虐性を満たすために。
そうやって死を相対化する(相対化=冷静に見ようとすること)。


フィクションにおいて、リアリティと重さは正比例の関係にあると思う。
フィクションとはいえ、リアリティを高めていけばその重さはノンフィクションと変わらない。
・・とH×Hのレイザーみたく言ってみる。(「念をこめれば、さっきの念弾と威力は変わらないがね。」)


私は物語の中で登場人物が死んでるのに死んでる感じがしないと、
「リアリティ不足なんじゃ・・」と思ってしまう。
しかしそれは作り手による、見ている人に重さを感じさせないための、
プロフェッショナルな判断なのかもしれない。