JR福知山線脱線事故から1年。「時代の空気」が「その時代を生きる人々の、意思の方向性の合成ベクトル」ならば。

JR西日本が、運転手に無茶なダイヤを守らせていた、必要な安全対策を怠っていたのが原因とされる。
けど・・・・JR西日本は、同じ地区を走っている私鉄との客の奪い合いに勝つために、その上で利益を上げるために、
最大限の事をしていたのだと思う。事故が起こるとは思っていなかっただろうし。


そして、安くて速い電車を求めていたのは、その電車を利用する人々だ。
企業が利益を求めて、消費者が利便性を求めて、それが一致していても、うまくいかない場合もあるという事だ。
企業間の競争が、単純に消費者の利益に繋がるわけでもない。


競争の無い社会では、活力が失わる・・・・
というのが20世紀の半分を費やして到達できた、現時点での人間社会の本質なのだと思う。
今はその反動か、神様なんてまるで信じてないのに、神の見えざる手は信じるという時代の空気。


誰かがブレーキを踏まなければならない。
スピード(お金)に魅せられて、アクセルを踏み続けた車が勝つのではない。
「事故りながら、ブレーキを踏むタイミングを覚えていけばいいんじゃない?」なんて主張には納得できない。


なぜ、本当に消費者の事を考えた、誠実な仕事をする企業が成長するようになっていないのだろうか?
・・・・現代社会が複雑で、誠実さの評価ができなくて、劣悪でも安い方を選ぶから?・・・・
なんか、前にも同じ様なこと、考えたな・・・・。



多分、あきらめない事だ。
世の中こんなものだ・・・・と思った瞬間に、ずる賢く立ち回って甘い汁を吸ってる奴らの勝ちだ。


もちろん長い目で見れば、奴らは自らの行いによって破滅するだろう。
しかしそれは「事故りながら、ブレーキを・・」だ。
しかも悪運が強ければ、堂々と成功してその秘訣など語り出すだろう。「勝者が歴史を作る」とかね。


ふざけるな、と。



事故からしばらくして、事故にあった人達の遺族を写したテレビニュースを見た。

数人分だったのだけど、大学生の子を亡くした親の映像が心に残っている。


その大学生は(名前は忘れました、申し訳ありません)、その春から大学に通い始めたそうで、
ノートには最初の数ページだけ、何かの数式が書かれていた。
そして、事故にあった時も聞いていただろうという音楽が流されていたのだけど、
それは、自分も良く知っているゲームの音楽 (FF10 の「夢も希望もありません」) で、それだけで親近感を抱いてしまった。


もしかしたら、将来ステキなゲームを作っていたのかな・・とか。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないけど。
どっちにしろ、あんなところで命を落としていいわけが無い。


人災って、ほんとやるせなくて、どうしようもない苛立ちを覚えるな・・・・。
同じ目的地に着く、たくさんの路線があったら、自分も一番安いやつで行く。それがさらに苛つく。



うまいこと競争しつつ談合する訳にはいかないのかな?

・・・・ルールのある競争。が近い感じがする。
こういう事をいうと「ルール?俺達を縛るなよ。自由に競争させろ。」って思う人もいそうだけど・・・・
そういうルールの成熟度が、社会の成熟度なのでは?


インフィールドフライ、デッドボールの無い野球。オフサイド、レッドカードの無いサッカー。
急所攻撃あり、銃刀爆弾etc持ち込みありの格闘技・・・・
自分と相手が同じルールだったら納得する?そういうムチャはゲームの中でやってくれww


社会の成熟度って、どれだけ本気で考えて、本腰を入れて実行して、失敗をして・・・・
でしか上がらないのだと思う。
でも、考えや実行の方法を変えないと、同じ失敗を繰り返す事になる。
三菱自動車、尼崎の脱線事故耐震強度偽装マンション・・・・もういいよ。
意思の方向性なら、変えられる。