あなたの頂点へ。Effort is systematic, genius is automatic.

2chニュー速クオリティ-VIP-
「努力で天才に勝つことってできるの?」
http://news4vip.livedoor.biz/archives/50508420.html
を見てて思った。

8:努力して天才を超えれたらそいつは既に天才だ

650:
すべての人間にポイントが100配られてるとして

勉強:20
芸術:20
スポーツ:20
その他もろもろ:40
これが凡人


勉強:10
ピアノ:90
こいつがピアノと出会ったら天才。
出会わなかったら負け組

に共感できた。


天才という言葉の意味

人は何かを見たとき「すごい・ふつう・しょぼい」とか「おいしい・ふつう・まずい」とかランク付けするけど、
その中で「ちょーすごい・他のとは全然違う・理解不能・測定不能」なのが「天才」なのだと思う。
つまり見る人によって、天才の幅が変わる。
ある分野の天才から見れば「この分野に天才などいない」という事になるだろう。


けれど、天才という言葉は好きだ。「天から頂いた才能」に感謝し、畏れを抱く。素晴らしい。
自分1人の力で、何でもこなしてきたと思っている傲慢な態度とは比べようも無い。
親・祖父母、遥か連なる血の承継。その絶妙な交差が、それをなすための力を与えたのだ。


努力という言葉は嫌いじゃない。けれど、努力という言葉にまつわる、ひがみ根性が嫌いだ。
「努力では天才に勝てない」という言葉とか。


これはある面正しいけど、8の言ったとおりでもある。
努力で天才の域に達すれば、それはもう天才。届かなければ「負け」。
言われてみれば、単純な言葉遊びみたいなものだ。8に拍手!



努力の意味

「天才とは努力の積み重ね」
「努力する才能があるのが天才」
という意見がある。これは「自分1人の力で・・・・」タイプの人間の主張みたいで好きじゃない。


けれど、努力には意味があると思う。
650の言ったとおり、人は様々な能力を持っている。
人間があらゆる状況に耐えられるように、与えられたものだと思う。
そして、色々な方向に延びている好奇心を、1点に集中するのが努力だと思う。


当然、違和感がある。つらい、飽きる。
でもその事で、2つの大切な事を知る事ができる。



1つ。
努力をすれば(それがよほど間違えたやりかたで無い限り)、それなりの力を獲得できるという事。


人生には様々な局面がある。自分が苦手とする事をやらなければならない時もあるだろう。
そんな時に、「努力すれば何とかなる」と思えるのは「苦手だから諦めよう」と思うのに比べ、
とてつもなく有利だ。



2つ。
努力をしても、勝てない戦いがあると知る事。


それは練習量の差か、人生経験の差か、持って生まれたものの違いか、あるいは運か。
「努力しても、勝てないときは勝てない。」と知る事は、知らないのに比べ、天地の差がある。


おれたちは、自分自身の人生の物語の主役だから、「いつかは必ず勝てる」と思いがちだ。
努力をしなければ負けても「おれが本気で努力したら楽勝だ」とか思ってしまう。
人生には負け戦がある。
負けを素直に認められるかが、次の勝利への鍵だと思う。



天才は努力しない


好奇心を集約する行為が努力なら、天才は努力などしていない。
650の天才の定義どおり、元々集約されている。


はじまりは、天才でない人と同じだ。
徒競走で友達をぶっちぎり、それが快感だった。絵なら、何時間でも描いていられる。
それを、天からの才能が後押しする。
才能に気付き、発揮することの快感を覚え、よりのめりこむ。
そしてそれをさらに、才能が加速させ・・・・能力との相思相愛関係だww


意思の力で好奇心を集中させている者など、相手ではない。
・・・・人間は、応えてくれない相手を思い続けるほど、不合理にはできていないのだ。



好きは天才のはじまり。


好きな事があるというのは、それだけで幸せだ。
何事にもやる気を持てず、夢を求めてさまよい歩く人が多くいるのを、あなたも知っているだろう。
好きというのは、きっと遺伝子・・・・神さまからの合図なのだ。
本当に好きならば、きっと応えてくれる。
才能には質・量の差があるから、どこまで登りつめられるかどうかは解らない。
けど、その頂が他人より低いからといって、何を恥じる必要があるんだ?