中島聡 vs 若手エンジニア 討論会に参加した

中島聡 vs 若手エンジニア 討論会
http://atnd.org/events/23605



100人でどう討論するのかと思ったが、
参加者の質問に中島氏が答える質疑応答形式だった。


同じような問題に悩む人が多いことが解ったし、
中島氏の回答も多いに参考になった。


特に心に残ったのはビールミーティングのくだりと、
2人が2ヶ月程度で仕様を決め、プロトタイプを作るという仕様策定手法。


以下は討論会の議事メモ。
聞き間違いや意図の取り違えもあると思いますが、そこはご容赦下さい。



***議事メモ***

概要

最初の40分ぐらいは、中島氏とUIEジャパンの古志野氏が雑談形式で話した。
その後2時間半ぐらい、中島氏が参加者の質問に答える質疑応答形式で話した。


雑談

古志野氏「若手とは何なのか。」
 →
中島氏「何かを変えていく意志のある人。
 会社に入って2,3年で理想と現実のギャップに悩む。しかしそう簡単には辞められない。
 7,8年経つと会社での立ち回り方がわかるようになり、最初のやる気や、悩みが消えてしまう。
 そうなると、もう若手ではない。」



「なぜメルマガなのか。」
 →
「ブログは嫌な気分になるコメントも多い。
 メルマガの会社の人に、海外進出についてアドバイスした時、メルマガを薦められた。
 購読者の目標は1000人だが、まだ達していない。」



「最近はどんなプログラミングをしているか。」
 →
「neu.Pen の製品のプログラミング。
 neu.Pen はLLC (Limited Liability Company) という形式で設立した。
 会社を作ることで、パテントの訴訟に負けるなどで膨大な債務を負っても、
 最悪会社を潰すだけですみ、個人が債務を負うことはない。
 C Corp(一般的な株式会社)は、法人税、給与所得に対する税、配当税と、税金が多くかかる。
 LLC は会社の税金を、会社ではなく構成員が直接支払うが、その1回ですむ。
 ただし、LLC では出資を募ることができない。
 オフィスはないので、家で仕事をしている。
 一緒に働いているPete はマイクロソフトの同僚で、私がマイクロソフトを辞める時に
 『お前が会社を辞めたら一緒に仕事をしよう』と声をかけたのが始まり。
 ・・というとずいぶんな関係に思えるがアメリカでは普通のことで、
 そういう感じで仕事をしているエンジニアは多い。」



Android についてどう思うか。」
 →
「心が動かない。Windows Mobile のほうがおもしろそう。
 Windows MobileAndroid を抜くのではないか。」



最後に、中島氏から古志野氏への質問があった。
中島氏「UIE ジャパンは最近どうなのか。」
 →
古志野氏「現在社員は17名。半年に1回ぐらい中島さんが見え、宿題を渡される。それを半年で解決する。
 昨年度の売上は3億3000万円、利益は5000万円。今年度は利益が1億円になる見込み。
 会社の冷蔵庫にはビールが入っており、毎週金曜の17時からはビールミーティングをしている。
 来週に社内見学会を開催するので、興味のある人は参加して欲しい。
 旅館に泊まってアプリ開発合宿のようなこともしている。裁量労働制であり、自宅で作業するメンバーもいる。」
 →
中島氏「作業をしたい時に『残業するな』と言われるのは厳しいので、裁量労働制はいいと思う。
 自宅で作業できるのなら、地方で働いてもいいのではないか。
 仙台に2人、福岡に3人いるというような形で。
 通勤時間は短くなるし、同じ家賃で広い家に住める。
 シアトルは日本の札幌や仙台に似ている。シアトル本社で通勤に30分かけている者はいない。
 シリコンバレーに比べれば家賃もずっと安い。」
 →
古志野氏「シアトル本社で働きたいと希望して、本社に行った者もいる。
 顧客がいるものに関して東京を離れるのは難しいが、
 Web に関しては今後、沖縄やハワイなどに支店を作るのもいいかもしれない。」



質疑応答

参加者「中島さんはどのように人生を決断しているか。」
 →
中島氏「湧き上がった思いに心をゆだねている。あまり相談はしない。
 最初は科学者になりたかったが、”科学の実験中にハエと合成される”映画を見て、考えが変わった。
 NTTではCPUを作りたかったのであり、最初からソフトウェアエンジニアを目指していたのではない。」



「地方で働くと、勉強会に参加できないのが心配。シアトルでは勉強会が開かれているのか。」
 →
「あまり無いように思う。仲間内で集まって何かをすることはある。企業主催の研修もある。」



「優秀な人とはどんな人か。」
 →
「私が作れないものを作れる人。」



成果主義において、部下をどう評価していけばよいか。」
 →
「私がマイクロソフトいた頃のやり方を説明すると、
 自分が辞める時に、連れて行って一緒に会社を作りたい人という観点で部下をランキングする。
 30人のグループで数人のチームリーダーがいる場合、まずリーダーがベスト4を選ぶ。
 それを元にリーダーが集まって、全員のランクを決める。
 最後に、ランクと現在の給与を比較して、評価する。」



「私はブレイクスルーのためは新規性よりも、
 既存のものを組み合わせる力が重要だと思うが、中島さんはどう思うか。」
 →
「NTTで回路の設計をしていたときに、最適な回路を生成するプログラムを作った。
 私は特許を取るべきだと主張したが、上司は『新規性が無い』と評価すらしなかった。
 既存のものでも、業務に役立つなら使っていくべき。googleはそれで論文を発表し、成功している。」



「離れた場所で開発をしていくのは難しくないか。」
 →
「一番最初の段階では、面と向かって打ち合わせをしたほうが良いが、それ以降はメールでも支障がない。」



「優秀ではない人を優秀な人に育てるにはどうすればよいか。」
 →
「優秀になるためには、経験よりも吸収力、やる気が大切。
 今までiPhone の開発をしていた人が身軽にWindows mobile の開発に移れるような。」



「やる気が無い人を育てるにはどうすればよいか。」
 →
「難しい。他の仕事を勧めたほうがよいかもしれない。
 一時期文系大学出身者をプログラマーにする流れがあったが、かわいそうだと思う。
 中学で数学を嫌いになったから文系に行ったような人は、プログラマーとしては厳しい。」



「優秀になるために、どのようにステップアップしていけばよいのか。」
 →
「やる気のある人にiPhone SDK を渡せば、2ヶ月程度でアプリを作れるのではないか。」



特許庁のシステムは、開発開始から5年経って中断された。中島さんがそのような会社にいたらどうするか。」
 →
「別の会社に行くか、自分で会社を作る。その前にまずは社内で暴れる。
 おかしな仕組みと戦ってクビになっても仕方がない。」



「日本では2次請け3次請けという構造で開発しているが、アメリカ、インド、中国ではどうなのか。」
 →
「日本の終身雇用制度に問題がある。
 簡単に社員のクビが切れないから下請けに仕事を出すし、
 下請けも社員のクビが切れないからさらに下請けに仕事を出す。
 特に黒字の上場企業が社員のクビを切ることを許さないような空気がある。
 アメリカではプロジェクト単位で人を採用し、解雇する。その代わり下請けはいない。
 中国は解らないが、インドには多数の技術者を抱え、アメリカのSIer を買収してアメリカの官庁の仕事をする会社がある。」



「日本では年功序列の評価制度が多い。どのように思うか。」
 →
「途中でルールは変えるのは難しい。
 何年もその会社でやってきた人に『明日から成果主義になります』とは言えない。」



「中島さんが大企業にいたとして、新人に期待することは何か。」
 →
「ルールを破ること。ただし自己責任で。」



「OSに興味がない人が多いように思う。中島さんはどう思うか。」
 →
「昔はろくなOSがなかったから皆OSの知識をもっていたが、今は興味の方向が移ったのではないか。
 私もWindows 95 の開発が終わった頃からOS に対する熱意は薄れた。
 ただC++ のコードで、const と static const とでは、メモリへの展開のされ方が違うというようなことは意識する。」



「文系出身者はLビザを取得できないという社内規定がある。どのようにすればいいと思うか。」
 →
「今から理系の大学に行くのもありだと思う。」



「アプリの多言語化についてどう思うか。」
 →
「バージョンアップの手間を考えると、少人数で対応するのは難しい。
 neu.Pen では最初英語のみでリリースして、後から日本語対応した。」



「大学生のスタートアップは失敗事例が多く、それが原因で仲違いが起こることもあると聞いた。
 それについてどう思うか。」
 →
ベンチャーの中で出資を受けられるのは1000社のうち6社。リターンがあるのは6社のうち2社。
 なので失敗して当然。ただ、仲違いというのは残念。『失敗しちゃったね』ぐらいで次に進めばいいと思う。」



参加者から古志野氏への質問
「UIEジャパンの従業員数あたり売上高は驚異的なものだ。どのように達成しているのか。」
 →
古志野氏「UIEngine という自社製品の販売と、デザインコンサルタントをしており、
 どちらも1次請けとして仕事ができているため。
 最初は営業活動に苦労したが、今はうまく回っている。」



参加者から中島氏への質問
「中島さんが今30代だったとして、これから会社を始めるとしたらどうするか。」
 →
中島氏「3つのやり方があると思う。
 1.最初は小さく始める。下請けはしない。Webで醤油を売るようなことでもいいが、商売の感覚を掴む。
 2.ビジネスプランを作り、出資を募る。だが、相当の実績がないと難しい。
 3.今の仕事をしながら何かを作る。
 何にせよ、最初から海外に売ることを意識して欲しい。日本は市場が立ち上がるのは早いが、海外に出て行かない。
 mixiFacebook になれる可能性があった。上場してしまうと黒字を求められるので、
 赤字覚悟のFacebook のような企業と戦うのは難しいのかもしれない。」



「開発技術を身につけるにあたり、効率的なやり方はあるか。」
 →
「人の書いたソースを読むこと。私はCandy というCADプログラムを作ったが、
 Windows の描画ロジックを見た時には感動した。
 コードレビューをするのもいいと思う。人の意見を聞くのは参考になるし、
 人に説明をしようとすると、解りやすいコードになる。」



「中島さんは家庭を持ちながら開発、ブログ、メルマガなどをしているが、どのように時間を管理しているのか。」
 →
「時間の管理は下手だが、集中して仕事を片付けるようにしている。
 毎朝ToDoリストを作り、8割はこなすようにしている。」



「中島さんがマイクロソフトで働いているときに、評価のランクを上げようとしたか。」
 →
「特に意識はしなかったが、会社のためになる仕事をしようと思った。
 働いているうちに、会社のため=ビル・ゲイツが望むことであることが解った。
 機能と納期のトレードオフに迷った時は、ビル・ゲイツならどう考えるかという視点で判断した。
 すると、上司ほどビル・ゲイツの考え方を解っているので、判断にOKがでた。」



「転職で、大手モバイルアプリ開発企業に行くか、5人のソーシャルアプリ開発ベンチャーに行くか迷っている。
 中島さんならどうするか。」
 →
「何をしたいかで決める。どちらも面白そうなら、
 今の会社組織と、転職後の会社組織のノリの違いを意識したほうがいいかもしれない。
 5人だと、その5人になじめるかどうかという話になってしまう。」



「大規模システムにおいて、どのように仕様を決めていけばいいと思うか。」
 →
「仕様策定には強いこだわりがある。Windows95IE のような大規模なシステムの仕様に関わったが、
 どれだけ大規模でもまずは2人が2ヶ月程度で仕様を決め、プロトタイプを作る。それから人を増やす。
 2ヶ月で作れないなら、アーキテクトとは呼べない。
 最初に何も作らずに仕様を決めるのは私も無理。
 最初から人が多いと、お互いに与える影響を意識してしまい、何もできなくなる。」



「多機能とシンプルな使いやすさはどう両立させればよいか。」
 →
「難しい。常に戦いという意識を持っている。
 アプリにスムージング(線をなめらかにする)機能をつけると、なめらかさのパラメータを欲しがるユーザはいる。
 しかし、パラーメータをいじらないユーザーにとっては不要なだけでなく邪魔であり、混乱の元になる。
 簡単に答えは出ないので、どうすればいいかを常に考えている。」



「UIEngine の利点、これからの方向性についてどう考えるているか。」
 →
「UIEngine ならば、OS やCPU の違いを意識せずにアプリを動かせる。
 元々の発想はブラウザ。ブラウザはWeb アプリを動かすために作られたわけではないが、
 JavaScriptCSS を駆使し、なんとかしている。そこを変えたかった。
 UIEngine は状態遷移言語を使用しており、Java VM よりCPU負荷が低い。
 今はナビやセットトップボックスで動かせるが、
 そのうち冷蔵庫の扉や、クレジットカードが画面を持つようになると思うので、そこで動かしたい。」



成果主義における評価について、部下に納得感を持たせるにはどうすればよいか。」
 →
「客観的な目標を設定させ、仕事の責任を1人に集中させることで判断しやすくする。
 また、評価は途中経過を伝え、期末に部下を驚かせないようにする。
 期末にいきなり評価を伝える上司は、使えない上司と思われても仕方がない。」



「UIE ジャパンのように開発者の意志や能力を重視する会社は、組織としては不安定ではないか。
 開発者としては働きやすいと思うが、経営者の視点からはどう思うか。」
 →
「今のやり方でいいと思っている。
 ファミレスではなく一流レストランを作りたいので、欲しいのはレシピではなく一流の職人。」



「英語でのコミュニケーション能力をどうやって伸ばしたか。」
 →
マイクロソフト日本法人にいたときに、2年半上司がアメリカ人だったので必要に迫られた。
 それでも十分な能力はなく、大勢で話すのは難しかったが、
 アメリカに行くと、声の大きい人の意見が通るような面があったので、そこで必死になって覚えた。
 英語が必要な環境に自分を放り込むのもいいかもしれない。」



最後に古志野氏から
「結局質疑応答形式になってしまったが、今回の討論会について、何か意見はあるか。」
 →
参加者「パネルディスカッションのような形でもよかったのではないか。」
参加者「マイク1本というのはやりにくかった。」
 →
古志野氏「マイクについては準備不足で申し訳ない。
 今後は全てネットで開催し、皆が意見を投稿できるようにするのもいいかもしれない。」



最後に中島氏から
「エンジニアとしての人生を楽しんで欲しい。つまらないと思いながら仕事をしているのはもったいない。」