責難は成事にあらず 小泉政権の始まりと終わり


題名は小野不由美の小説「華胥の幽夢」の一説から
意味は「何かを非難・責めることは、何かを成すこととは違う」ということ。



バブル崩壊後の時代の閉塞感、政治の腐敗、官民の癒着。
小泉元総理は、それらを批判し、改革を断行すると宣言した。
自分も含め国民の多くは「古いものを壊して、新しい何かをつくるのだろう」と期待した。
けれど、小泉元総理自身は「古いものを壊せば、新しい何かが生まれるだろう」と思っていたようだ。


外交において主体性はなく、アメリカのいいなり。
親に依存して、自分は何もしないニートのようだ。
親がどれだけ立派であっても、恥ずかしい事だと思わなければならない。
ましてや「大量破壊兵器が無いと証明された訳ではない」とかいうムチャクチャな理由で、
戦争をふっかける国だ・・・・そしてその戦争にのこのこついていくというオマケつき。


内政においては破壊、外交においては追随。
景気が少し上向いて、自衛隊イラクから撤退した絶妙なタイミングでの退陣。
けれど、この国に本当に必要なものは無視されているし、イラクでの戦争は終わっていない。
自分たちが、いつかこのツケを払うことになるだろう。
小泉元総理は、一体どんな未来を望んでいたのだろうか?