分散型ブレインシステム


前から疑問に思っていたことがある。人間の脳は、一生分の様々な情報を記憶しきれるほど容量があるのか?
映像記憶だけでも十分すぎるほど重いのに、触感とか匂いとか音とか。
身体を動かすのにも、たくさんの経験がいる。
(スポーツや手を使う事(絵・演奏・工芸など)は、慣れるのに相当の時間がかかる = = 情報量が多そう)


もしかしたら、他の場所に保管されているのでは?
・・・・もしあるとしたら、どんなところだと思います?


1・神様みたいな存在が、全てを管理している。オンラインゲームのサーバーみたいに。


2・1と似ているけど、「人類の記憶図書館」みたいなものが、どこかにある。


3・物に宿っている。車とか、服とか。
どこか行った時の思い出って、車とセットで思い出したりしません?
日本人が昔、「全ての物には神様が宿っている」と考えていた事とも整合が取れる。


4・他人の中にある。


4は、おれの中で最有力候補です。
昔を思い出す時、ほとんどが誰かとセットで思い出す。
1人でやったことだと、その場にいた見も知らぬ人間の事を鮮明に覚えていたりする。



記憶共有システムの概要
重い映像記憶なんかを、その場にいた他人と共有し、1人1人の記憶領域を減らす。
その分を、ほかの事に使う。
記憶が必要な時は、他人の記憶を引っ張ってきて、繋ぎあわせ、1つの記憶にする。


これは、仕事を辞めたとたんにボケる事とか(会社の人間とのリンクが切れるから)、
妻に先立たれたとたんにボケる事の、うまい説明になる。


他人の記憶をダウンロードする時には、ラジオのチューナーを合わせるみたいに、
特定の記憶だけを受信するようになっているけど、たまには誤受信もある、と。



この考えを推し進めると、記憶だけではなく、思考能力も共有できるのではないか?とか思えてくる。
SETIみたく。
人は皆、違う人生を歩んできて、違う経験、知識、思考回路を持っているから、
自分1人では解決できない問題でも、他人のちょっとした後押しで、解決するかもしれない。
その代わり、自分の思考能力の一部が他人に使われることになるけど・・・・。


これの実感みたいな現象はいたるところにある。


3人寄れば文殊の知恵。
1人で勉強するよりも、学校や塾に行ったほうが効率が良く、
1人で楽器を練習するよりも、バンドを組んだほうが上達が速く、
人に話す事で、自分の考えがまとまったり、
結論は決まっていても、その過程の正しさを確信するために、人に相談したり、



こう考えるなら、誰とシステムを共有するかというのは、かなり重要な問題であるはずだ。
おれは、それが人が人を好きになったり、嫌いになったりする根本原因ではないかと思っている。
(というか、今日考えたんだけど)


多分脳は、相手をターゲッティングすると、まずシステムのシンクロ率を測定する。
それから、そのリンクが自分にとってどれだけ有用かを予測する(楽しいか?とか、利益になるか?とか)。
この間2秒くらい?(面接官は、そのくらいで第一印象を決めるらしい。(ビル・ゲイツの面接試験―富士山をどう動かしますか?より))


んで、対応を決める
A:積極的に関わる
B:消極的に関わる
C:相手が積極的でも rejectする


それが人間には、好印象とか嫌悪感として伝わる。



こういうシステムがあると仮定すると、有効な会議や話し合いの仕方も見えてくる。
決定済み、終了した事については、一切話し合わない。(過程に意味を持たせたい時は別)
そうでない事、つまり決まっていないことや継続中の事について話し合う。
そして、その場では結論を出さないで、少し時間を空ける(思考を共有する時間を持つため)
・・・・どこかのビジネス書に、こんな事が書いてあったような・・・・


これが正しいのなら、それを最大限に活かすうってつけの手段がある。
ブログ(のような個々の関係性が見える、大量伝達手段)だ。
とりあえず、迷っている事、計画中の事について書いてみる。
すると、100人に1人か、1000人に1人かは知らないけれど、
波長が合った人間が、あなたの問題について一緒に考えてくれるw


・・・・実際に会っていない人間間で、リンクが張られるかどうかは微妙なところだけど。
身近な人間同士の相乗効果は、今まで散々実証されてきているけど、
ネットについては、まだまだこれからか。