息するように、恋するように


そうなのかもしれないと思った。
http://d.hatena.ne.jp/ryoko_komachi/20051213
仕事にするには、好きなだけじゃ足りなくて、息するくらいに自然じゃなければならないのかも、と。


結構昔に「笑うセールスマン」という漫画があって

当時の自分はそのブラックさにショックを受けたものだけど、その中でも一番怖かった話が、

『仕事に疲れ、会社にも家にも居場所が無いサラリーマン。
喪黒福造(この漫画の主人公で、心の隙間を埋めるセールスマン)に、
「極上のくつろぎ空間」みたいのを紹介される。料金は無料。喜ぶサラリーマン。
ただし条件があって「日曜日にしか使わないこと、でないとどうなっても知りませんよ。」
しばらくたって、会社で嫌な事があったサラリーマンは、平日にこの部屋に行く。
いつもと同じように、すばらしいもてなしを受ける・・・・が、
次の日になっても、その次の日になっても、その店から出られない。
永遠に続く休日・・・・』
(だいたい、こんな話だったような)


好きな事でも、それがずっと続いたらどうなのって。
(この話の恐怖ポイントは、休みが続く所じゃなくて、
社会との繋がりを絶たれる所なのかもしれないけど。)



「好きな事を仕事にしよう」というのは、誰が言い出したのか知らないけれど、広く支持されている。

そしてその事が、メチャクチャな悲劇をもたらしている。
「好きでも無い事に人生を費やしてしまった。」と人生に失望し、自殺する中年サラリーマン。
「好きな事を仕事にしたい。」と頑張っても、実現できるのは少人数。後に残るのは敗北感。
「好きな事がみつからない。」でも、どこかには、好きになれるものがあると信じる人々。
それらを見て、「好きな事なんて無いし、だから働きたくも無い」と、あきらめる人々。


自分はと言えば、好きな事を仕事にすることに憧れつつも、
実際に仕事にしたら、好きな事でも嫌いになるのではと恐れていた。
そんな中途半端な気持ちで過ごすのも嫌だったので、
半ば、好きな気持ちに止めを刺すために、それを仕事にしてみた。


そしたら、予想以上に楽しかった。もちろん、大変な事もあったけど。
万難を排してでも、好きな事を仕事にした方がよいと思った。


最近、その考えが疑問に思えてきた。
この5ヶ月、嫌い・・じゃないけど、苦手な事を仕事にしている。
確かに、初めたその日に辞めようと思った。けどそれじゃ、あまりに根性無しだし、
そのことが一生の突っ込みポイントになりそうな気がした。
1週間くらいは辞めることばかり考えていたけど、それをなんとかやり過ごして、
とりあえず3ヶ月はやろうと思った。


そうしたら、いつの間にか、辞めたいほどの嫌な気持ちは消えていた。
人はどんな事にも慣れられる(カバチタレナニワ金融道?)っていうのは本当なのだなって。
そして、そのことは、好きな事に対しても言える。
欲張りというか、向上心があるというか、今好きな事を仕事にしていて楽しいけど、
もっと楽しくするためにはどうすればいいんだろう・・と、
よりよい何かを求める気持ちが消えることは無いのだ。


好きな事をしていても、嫌いな事をしていても、同じように満たされないのなら、
仕事は好きとか嫌いとかでやるものじゃないのかもしれない。・・・・じゃ、何だ?。
そんな時に、上記のryoko さんのエントリーを見た。


呼吸をするように打ち込めるのが、飯が食える最低条件

少ない労力でこなせる事を仕事にしたほうがいい、という意見にも思える。
仕事で、いかに質を落とさず労力を減らすか、というのは極めて重要な問題で、
もしかしたら、その事を言っているのかもしれない。


けれど少し考えて・・少なくとも自分にとっては、
息するように自然にというのは、好き嫌いよりも上位の感覚だと気付いた。


うつろいゆく不安定な感情ではなく、もっと根源的な・・・・生きている事の証。
昔は生きていくための努力(水汲みとか採取とか)が、そのまま仕事だったわけで、
命と仕事が密接に結びついているのは、それが腑に落ちるのは、とても自然な事なのかしれない。
現代ではそれを感じにくいと。


けど、こうも言える。
貨幣制度がある現代では、お金が生活を支えている。
ならば、どんな仕事でもお金を稼げば、それが結果的に命を支えていることになる。


・・・・けど、これは理屈だ。実感じゃない。
貨幣制度が現在の多様な社会を作ったけど、もやもやとした気持ちも生んでしまった。
自分が直接、自分の命を支えている訳ではない不安。見えないものが自分を生かしている恐怖。
ブラックボックスが気にならない人も多いのだろうけど・・・・)
本当は、お金をもらうって事は、誰かがそれにお金を払っているのだけど。
・・まぁ、見えないw
だから、仕事に対して好きとか嫌いとか言い始めたのかも。これも強い感情だから。


けれど、お金を頂いている以上、嫌いな気持ちの大部分は吹っ飛ぶ
と、同時に、好きな気持ちも抑えられる。
(好きって事は個人的な強い感情で、そのままでは他の人が理解しにくいから、
好きな気持ちをコントロールしなければならない。)


もっと大切な「思い」に関わってきそうだけど。
嫌いなものに対するのと、好きなものに対するのでは、出るパワーが違うだろうし。
けど・・・・好きなもの以外は全部嫌い・・・・みたいな思考回路になってないかなー?とは思う。
お金をもらうのが大変な事なのに、その手段のほうを大変な事だと思って嫌っているような。
嫌いな気持ちが、どうしようもなく不快で我慢できないって人は、
好きな事を仕事にしてみればいいと思う。好きなことも、嫌いになるかもしれない。


色々な要素・・・・実力、適性、働いている時間、給料、社会に対する貢献度の広さ・深さ、職場の人間関係・・・・
があるので何とも言えないけど。
これらを良くしようと思うのは当然のことだし、そうするべきだ。


息するように・・・・苦しければ、色々なものが気になる。息止めてるみたいに。
そして大抵は息苦しいものだと思う。
それは、仕事に・・生きている事に全力だからだと思う。走っていれば息苦しくなるのと同じこと。
楽そうな人もいる?
恵まれているんだろう。人をうらやんでも仕方が無い。
それに少なくともおれは、そんな楽な状態すぐに飽きそうだ。
楽しい事ならずっと続けていたいし、そういう仕事をしたいとは思うけど。


とりあえず、「なんとなく、この歳まで生きてしまった。」とかいうマイナス思考をやめよう。

「すごく自然に生きてきた。」とか「苦しい道のりだったが、それに慣れてしまうほどの人生だった。」と考えよう。
仕事に対して、あまり重く考えるのもやめよう。
息をするのに、何かを考える必要が無いように、だ。息をしないのはまずいけど。
求人情報誌をダーツの的にして、矢が刺さったとこで働くぐらいのノリでもいいのでは。
求められてるんだもん。