状況は常に変わっている。今までの成功体験が、これからも通用するとは限らない。

Life is beautiful: 「人生のやり直しに寛容な社会作りエントリー」に対するコメントに答えてみるより引用】


根本的には、こういった日本特有の文化があることは否定できないし、
「だからこそ米国式の機会均等社会ではなく、日本的な結果平等社会を作るべき。
自由競争で社会を混乱させるよりは、既得権者の利権を守って社会を安定させるべき」という考え方があるのも分かる。
しかし、そんな考えかたと米国式の資本主義経済がそもそも両立するのかどうかに、私は大きな疑問を持っている。
ここまでグローバル経済圏に巻き込まれた経済活動をしておきながら、
一部だけ資本主義から大きくはずれたことをするというのはあまりに「ゆがみ」が大きすぎる
(そして、その「ゆがみ」のスキをついて、外資系の投資ファンドが濡れ手に粟の暴利をむさぼる)。

正直、経済のことはよく解らない。
規制緩和が叫ばれているけど、
今までどんな規制があったのか、なぜその規制があったのか、なぜ無くそうとしているのか。
終身雇用は、いつごろ生まれたのか、なぜ無くなろうとしているのか。
バブル景気とは何だったのか、なぜ今もその影響を引きずっているのか。
この先どうするべきなのか。


学歴社会のレールにのって、出世街道を進むのが最もいい人生と言われる一方、そんな人生は空しいと言われたり。
型にはまらず自分らしく生きろという風潮の中、ニートフリーターが大量に生まれたり。




今の状況で一番いい選択が、規制緩和して、終身雇用を見直して、
アメリカのルールで戦うということなのだと思う。
みんなを巻き込んで戦うのに、その辺の説明が足りないとは思う(そういう方向性を示すのが、政治の役割だと思う)。


けど、もし終身雇用がガチガチに残っていたら、おれはずっとフリーターだったと思う。
そのせいか、一回入ったから定年までその会社にいられるというのは、なんか居心地の悪さを感じる。
それなんて公務員、共産主義って。
従業員は終身雇用な一方、会社の寿命は30年って言われるけど、それは中の人と密接な関係があると思う。
創業者達・・やる気がある人達・・が引退した時が、会社の死ぬ時だ。
会社が死んでるのに無理に勤め続けようとすれば、それはおかしくなる(利益的な問題)。


一度会社に入ったからには、死ぬまで面倒見ますというのは、とても村社会な発想のように思う。
いいところもあるし、悪いところもある。
いいところは、仲間うちで協力しあえること。
悪いところは、その空気になじめなかった時。
村社会のほうは、無いほうがいい・・という事になったので、
遅ればせながら、終身雇用のほうもなくなった(人間的な問題)。


上は全部仮説。
一番いいのは、天職と言えるような仕事を見つけて、理想的な環境でずっと働く事だと思う。
けど、なかなかそうはいかないし、やりたい事は変わるものだ。
変わらないにしても、社会のシステム上そこから動けないから、そこにいるのと、
いつでも動けるけど、そこにいるのとでは天地の差があると思う。



青い鳥?その話の事は知ってます。
けど「旅立つ前に、鳥かごに入った青い鳥」と
「お帰りなさい、カラーひよこ」の二択ってのはあんまりじゃない?