三谷幸喜が監督・脚本「みんなのいえ」おもしろかった
家を建てることになった夫婦(夫は脚本家・・ってw)と
大工の棟梁(妻の父)と若手インテリアデザイナー(妻の後輩)のドタバタコメディー。
おれは人間関係がギスギスしているような物語はあんまり好きじゃないけど、
(ほら、なんか痛々しくて、見ていられないというか・・・・)
こんな感じだったら見ていてハラハラドキドキ楽しめる。もっとやれ、もっとやれってww
インテリアデザイナーに家の設計を任せるのもどうかと思うけど、
このインテリアデザイナーが言っていることが、素人目にも無茶で、
ああ、これは棟梁とぶつかるなーって事が解りやすいのがいい。
「トイレを南側に」とか(部屋を北側に回すのか?)
「インチで計ってくれ」とか(車の大きさとか家具とかみんなセンチなのに?)。
自分の父は、大工の棟梁なのだけれど(このドラマと同じだw)
「内開きの玄関なんて作らない。輸入建材でもほとんど外開きだし、
今はアメリカ人でも、外開きの玄関を使っているのでは?知らないけど。」
と言い、上の2つについては大笑いしていた。三谷さん、よく調べてるなぁ。
あと、棟上式のシーンを見た父は
「こりゃ土台はヒノキだけど柱は杉だから、そんなに金のかかった家じゃないな。」
だって。テレビの画面からそんな事解るの?専門家恐るべしw
エンディングも、期待通りの気持ちの良いものだった。
合体スライムが教えるケンカの極意「相手が本気を出したら、こっちは手を抜くんだよw」
この映画の良かった所は、登場人物が皆、家を作ることに本気だった事が伝わってきた所。
それが過ぎて火花が散っているのが、見ている分には楽しい。
ただ、やっぱりやり過ぎかなーとは思う。
20畳の和室とか、ペンキをぶちまけられた壁とか、そんな家を建てられたら困るww
好きな気持ちを抑えられてないような。
完全に自分のしたいようにするには、自分でお金を出すしかない。
あるいは、全てを好きにさせてくれるお客を選ぶか。
うーん、それはそれで、力が行き場を失いそう・・・・。
多少の制約があったほうが、出来上がったものが美しくなりそうな気が・・・・・
まぁ、相当頭がぶっ飛んでない限り、本気度は高ければ高いほどいいものだと思う。
そういうのはこっちにも伝わるものだし。
(その代わり時間とお金がかかるから、その辺は話し合いのしどころ、と)
問題は低い場合。好きな気持ちがうまく抑えられているのと区別が付きにくい。
そして、どんな仕事でもそうだと思うけど、素人には解らない範囲で、手なんていくらでも抜ける。
A: それでも見た目が良くて、お客が満足すれば仕事なのだろうか?(つまり自主的に手を抜く)
B: お金を出している人が(使うのは別の人)「とにかく安くしろ、形になってりゃ何でもいいから」と言ったら?(つまり強制されて)
A
少しでも本気で仕事をした事があれば、手を抜くのがいかに楽か解っている。
だから、手を抜かれることを恐れる。手を抜かれたら怒る。
少し前まで姉歯氏が、世紀の悪党のごとく叩かれてたけど、
人を1人も殺さずに、あれだけの非難を受ける事なんてそうはない。
・・・・って言おうとしたら、小島社長やら西田社長やら、あんたら合体スライムか?
「ばれなきゃいい。お客も満足、自分も満足。」?・・・・そういうの好きじゃない・・・・
B
それは「できません」っていうのがプロなのでは?
「自分がやらなきゃ、他の誰かがやる。だから自分がやる」?
「自分がやらなきゃ、他の誰がやるんだ?だから自分がやる。」だったらかっこいいのに・・・・。
とりあえず違法だけど。
・・・・ばれなきゃ違法じゃないし、ばれても「違法だ」って証明するのは被害者側だし・・・・
お客側にも悪い部分が。「あれもしろ、これもしろ、安くしろ安くしろ。」・・それ、無理。
「じゃぁ、他のところにする」
まともなやり方をしていれば、どこでも仕事のやり方はそう変わらない。値段もそんなに変わらない。
けど、ばれなきゃいい方式のところだったら?
・・・・なんかおれの、けいざいりろんのよそくからすると、
悪貨が良貨を駆逐して、みんなが悪貨に慣れた頃、その悪貨もさらなる悪貨に駆逐されて・・・・
の、連鎖が延々と続くことになるんですけど、大丈夫なのか、この世界は?